夏を共に過ごしたザリガニが死にまして。
初めての「身近な生き物の死」に昊さんがどう反応するかを興味深く観察したところ…「食べる」と言う。
三歳児には似つかわしくないほど賢いと思ってただけに正直ちょっと困惑したのですが、考え直しました。
「家族、友、敵を自分の血肉にする」という感じ方は決して特殊なものじゃなく、むしろ殆ど全ての民族が過去に当たり前に持っていたもの。その志向が失われてきたのは「知性」のためではなく、「理性 = 社会性」の獲得ゆえ、なのだと思うのです。
卑近な例で言えば、オネショ。寝ている間にオシッコをすることは健康に悪いわけでもないし、誰かに危害を加えるわけでもない。でも「するな」と言われて徐々に育つ「理性」が、睡眠中の脳をも縛り付ける強固な箍となって働くわけです。それは「知性」の所産ではない。
話を戻すと「死んだザリガニ = トモダチを食べよう」って感じ方は、社会性が弱い段階の人間にとっては実は結構自然なことなんじゃないかなーと。
ま、自然なら何でもそのままで良いってわけでもないので、少しずつ社会性を与えて理性を育てて行けば良いのだろうと思うのだけど、何を書きたかったかというと、
今回の事件をもって彼の知性を疑う必要はないと思うぜ、相方。
ってこと。
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